
07 BM助産師がきく!海外妊活出産体験談
今回は、【シンガポールで妊活】をされた、みいさんの体験談をお届けします。
Be Motherの助産師が、みいさんからお話をうかがいました。
妊活後に日本で双子を出産され、現在はカナダで子育てをされている、みいさんのストーリーをぜひご覧ください。
ー自己紹介をお願いいたします
33歳の時に、夫婦二人でシンガポールに住み始めました。現地で不妊治療を受け、現在13歳になる双子の女の子を授かりました。日本で出産した後、娘たちは幼稚園時代をシンガポールで過ごし、小学校の大半は日本、そして今はカナダで中学校に通っています。まだこちらに来て4か月ほどなので英語にも苦労していますし、子どもの教育面での悩みは尽きません。
ーシンガポールでの治療の経緯を教えていただけますか?
26歳で結婚しており、正社員の仕事を退職してシンガポールに帯同したので、そろそろ、と思っていました。妊娠に向けての体作りも意識していて、渡航してすぐの頃からヨガを始めたり、漢方やフットマッサージなど、できることはいろいろやっていました。
シンガポールに行って半年くらい経った頃、現地に移住している大学時代からの友人が妊娠し、彼女がかかっていた不妊治療専門のシンガポール人の病院に連れて行ってくれました。自分ひとりではそのようなアクションは起こせなかったかもしれないので、ランチの後にそのまま病院に連れて行ってくれた友人には感謝しています。
病院ではまず体の状態を診てもらい、まず人工受精をすることになりました。日本のように、順序だてて検査をする流れではなく、戸惑いがありました。2回人工授精に失敗した後に、卵管造影をしました。問題はなかったのですが、排卵できるまで卵子を成熟させるため、週に2回注射に通いました。
診察や注射の回数、なかなかうまく行かないことで心が折れて体調も悪くなり、実は、1年ほどお休み期間を取りました。ずっと通っていたヨガも、2年かけてインストラクターの資格も取りましたが、周りが妊婦さんばかりになってしまい・・・。語学学校でも、自分より年下の友人たちがどんどん妊娠していくという辛さも経験しました。夫は月の半分出張で不在にしており、一人きり、という孤独も味わいました。夫婦仲も悪化して、「いったん休もう」ということになりました。
ーそうでしたか。「休む勇気」を持つことも難しい、とも聞きますが、いったん離れたことで良い状況を作れたのかもしれませんね。
私自身は、どんどん年を取っていくと思い、焦りも感じていました。でも、それまでなかったような体の不調に見舞われたこともあり、夫が「休もう」と言いました。
その後1年ほどしてから、「やっぱり子ども欲しいよね」という話になり、また同じ病院で治療を再開することにしました。その頃には36歳になっていたので、「早くステップアップしたほうがいい」ということで、体外受精をすすめられました。ただ、金額が100~120万円くらいと高額で、体外受精はしないことにしました。そして、1回目の人工授精で妊娠に至ったものの、残念ながら流産してしまいました。そこから半年おいて治療を再開し、最初の再開からちょうど1年後に(人工受精3回目)、ついに双子を授かりました。
日本の友達から聞く、日本の病院の手厚さ、きめ細やかさと比べると、このままシンガポールの病院で治療を続けていいのだろうか?という疑問も生まれてきて、「これでダメだったら、日系クリニックに行こう」と考えていたときに、妊娠がわかりました。
ー双子の赤ちゃんの妊娠がわかった時は、いかがでしたか?
奇跡だと思いました!!
というのも、もともと夫は、双子を希望していました。私自身は、多胎妊娠が怖いという気持ちもあったのですが・・。そして、これは本当に不思議なことなのですが、人工受精当日に、双子を生んだ夢を見ました。最初に病院で妊娠が確認できたときには1人しか見えていなかったのですが、2週間後に2人いることがわかりました!
排卵誘発剤なしで、自力での排卵で二卵性の双子を授かったので、先生もびっくりして、「Amazing!」と言っていました。
ー妊娠経過はいかがでしたか?
9週目くらいからつわりがひどくなり、炭酸水とりんごしか受け付けなくなりました。シンガポール特有の、もわっとした空気と、食べ物のにおいが辛かったです。
4か月くらいからは、お腹が張るような感覚で重く感じ、前かがみでしか歩けなくなってしまいました。その頃は、双胎妊娠のリスクや切迫早産の症状など、ついいろいろなことをネットで検索していました。そして、シンガポールでは双子の妊娠でも出産前に管理入院することができず、自宅で絶対安静で過ごさなければならないこともあり、日本への帰国を考えるようになりました。
診察の際、経腟で子宮頚管の長さを測らない、ということにも不安を感じていました。夫の両親が日本での受け入れ先を探してくれて、NICUのある大学病院が見つかりました。
帰国してから診察を受けたところ、当時妊娠20週で、子宮頚管の長さが早産の危険がある19mmでした。本来なら35~40mmあるものなので、「帰国するという決断をしてよかった!」と思いました。お腹の張りを止める薬を1日4回マックス飲んでも改善せず、結果的に出産まで4か月間入院することになりました。
ーそしていよいよ出産を迎えたわけですね。
35週5日で帝王切開で出産しました。本当は、37週2日で予定していましたが、4月の半ばくらいから、赤ちゃんが下りてきているのがわかりました。それまでの入院生活で、緊急帝王切開になる事例をいくつも見ていたので、それを避けるため、ゴールデンウィーク前に手術をしてもらえないか病院側に相談しました。出産のときに、胎盤が剥離しかけていたことが分かり、「1日遅れていたら大出血していた可能性がある」と先生に言われたので、日程を早めて正解だったと思います。本当に、ひとつひとつが、奇跡のように感じます。
ー日本だと、患者からリクエストはしにくい状況もあるかと思います。帰国にしても、出産日程にしても、みいさんがご自身でしっかり判断して決断できた、ということが素晴らしいですね。
双子のうち、ひとりは体重が1500gしかなくて(もうひとりは2600g)、自発呼吸ができていなかったため、挿管チューブを入れましたが、3日で外れました。母子手帳には、「仮死状態で誕生」と書かれています。2600gにならないと退院できないため、40日間NICUにいました。「愛情に偏りが出ないように」ということで、ふたり一緒に退院することになっていて、2600gで生まれた方の子は、4200gまでベビー室にいることになりました。
夫は残念ながら出産に合わせて帰国することはできなかったのですが、その後初めて対面した時には、あまりにも赤ちゃんたちが小さくてびっくりしていたのを覚えています。夫はもともと特に子ども好きというわけでもなかったのですが、実際に双子の娘たちが生まれて、13歳になった今でも溺愛しているので、「人は変わるものだ」ということを実感しています。その意味でも、娘たちは、奇跡の子です。
ーその後、シンガポールに戻られたのでしょうか?子育てで大変だったことは何ですか?
4月末に出産して、翌年の2月まで日本の夫の実家で過ごしました。戻る前に、マレーシア人のヘルパー(家事全般から子育てのサポートもしてくれる、いわゆるメイド)さんを知人からの紹介で見つけることができました。通いで来てもらっていましたが、双子ということもあり、本当にお世話になりました。彼女がいなかったら、子育てできていなかったと思います。
世話好きというか、おせっかいというか、シンガポール人の気質も、子育て中はありがたかったです。子どもにやさしい国で、レストランなどでも店員さんに「ベビーカー押しといてあげるから、マダム達はランチして」なんて言われたこともありました。
とはいえ、海外での子育ては、「これで合っているのかな?」「日本だったらどうなのだろう?」ということが気になり、良くネットで検索をしていました。言葉が通じない不安感もあり、「夫がいないときに痙攣をおこしたらどうしよう」といった不安と隣り合わせの日々でした。
ー本当ですね。でも、そうやってどんどん自分自身も強くなっていくんですよね。では最後に、これから海外で妊活妊娠出産する方へのメッセージ、エールをいただけますか?
まず、不安は体に良くないです。これは、夫婦間で話し合うしかありません。けんかもしましたが、話し合いもよくしました。染色体検査の前に、涙ながらに話をしたこともあります。ふたりで同じ方向を向いて、夫婦が仲良くしていれば、いつか赤ちゃんが来てくれると思います。
そして、時には夫を頼ることも必要ではないかと思います。妊活は、女性にとって体の負担があり、つい一人でやってるようになってしまいますが、ぜひパートナーと一緒に乗り越えてほしいなと思っています。

BM助産師のコメント
お話を伺って、Be Motherのnoteへ投稿しました。
ぜひご覧ください
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みいさん、様々な奇跡が重なり合った素敵なお話をありがとうございました。
これからもBe Mother助産師がきく!シリーズでは、様々な海外体験談をうかがっていきます。
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